乙女心と担担麺

お腹がぎゅうと鳴る。
空調の切られたオフィスが気力を奪う。
こんな日はサッとご飯を済ませて早く寝たい。

今日は、久々に近所で、ひとりご飯を食べて帰ろう。
早速、都営浅草線に乗り込み、食べログを貪る。
あらら。おかしいなあ。お気に入りの担担麺。
評価がガタ落ちしている。

親しい人が、近所にきたときは、
胸をはってすすめたい大好きな担担麺。
なのに。思わず、そのお店に乗り込む。


いつもより、素っ気なく感じるお店のおばちゃん。
周りの常連客と、ずっとお喋りしてる。
わたしだって、常連なんだぞ。
スタンプのたまったポイントカードは、2枚にもなるぞ。
仲間に入れてくれたって、いいじゃない。


ほどなくして、定番の担担麺がくる。

んんん、気のせいか美味しくなく感じる。
一気に、3.6から3.2の味になった気がする。


ついでに、おばちゃん。
混んでるのはわかるけど、ひとりご飯に、カップル相席にするの、やめてくれないかな。
しかも何、今日は麺に髪の毛が入っている!


なんだか、あれだけお気に入りだった担担麺が、
偶然の重なりで、急に嫌いになってきた。

人の心は移ろいやすい。
思ったより、あっけない。 

「君だけは裏切らない」
食べるたび、これでいいのだ。と、
励まされるような、変わらぬ美味しさで、
絶大な信頼をおいていた担担麺との別れ。
ぽっかり穴が空いたように、味わったのだけど。


でも、ちょっと気づいた。

勝手に過大評価して、
勝手に他人からの評価に惑わされて、
勝手にフィルターをかけて、
勝手にやきもきして、
勝手に勘違いして、

担担麺は担担麺のままなのに、
裏切っているのは、私のほうじゃないのか。


変わったのは、どっちなんだ??


なんだか、ぐるぐるして、
お店に通い続けて初めて、担担麺を少しだけ残して、席を立つ。


ねえ。こちらの手を読んでいる超能力者のように、
尋常でない速さでお釣りをくれるんでしょ?


おばちゃんは、裏切らなかった。


ごちそうさまでした。

焼肉フリースタイル

慶應仲通りの焼肉屋。
金曜の残業終わりにふらりと呼ばれる。


焼肉は、クリエイティブなたべものだと思うの。

様々な部位が示されたメニュー表。
特上から並まで、イキイキと文字が踊ってみえ、選択の自由を満喫できる。

全体のバランスを見つつ思い思い注文して、
お皿が来たら、理想の最終形を思い描きながら、好みの加減に育てていく。
絶妙な頃合いを目と耳と鼻で判断する。
よだれがじゅるり。ああ、はやくたべたい。


ジュウと音をあげ、肉汁がポタリと落ちる。
これ、そろそろいけるかな?

時折、話を止めながら、仕事のこと、恋愛のこと、共通の知人のこと。
いろんな話をしたのだけど、いちばんお腹にきたのは、友達付き合いの話だった。


無神経な行為にイライラする友達がいる。
一方、不器用で面白くはないけど良識ある友達もいる。
付き合う友達のタイプを、一度考え直そうかなあ。という話だった。
誰とでも仲良くする人に見えたので、ちょっとびっくりしつつも、なんだかとてもスマートにみえて、おおっと思ったのだ。
 
友達選ぶ宣言していいのか!と。

まあでも、わたしも、たべたい肉を選択しているように、
仲良くする友達を見極めて、注文している感覚、あるかもしれないなあ。

Aの誘いなら調整してでもいくけど、Bの誘いは上手いこと断っておこう。とか。

そして、思うままの焼き方で、共にいる時間を創り出して、身勝手に楽しんでいる。
相手が同じように楽しかったか、なんて、その時はそっちらけなのだ。 
そんで、あとで後悔するんだよなあ。肉食べ過ぎた!みたいに。


そういうところって、大なり小なり、みんな腹の中に秘めてるんじゃないかなあ。
どんなお人好しにも、選ぶ権利は認められてると思うんだ。悪いことじゃない。
相手がどんなふうに感じるかなんて、結局わからない。


これ、お皿によけとくよ。
誰かが食べたかったはずのカルビが、焼きすぎて、黒こげになっている。


ひとって自分勝手だよなあ。


ごちそうさまでした。

ウェイパーに任せておけ

ウェイパーって、美味しすぎやしないか。


とりあえず、放り込んどけば、なんでも美味しくなる。
料理下手な人っているけど、とりあえず、ウェイパーを適量いれとけっていいたくなる。


ちょっと都合のいい存在なんだな。
わたしにとっては。


気がついたんだ。
ウェイパーを入れると料理美味しくなるのは、
食材がウェイパー味になるからって思ってたけど、
もしかすると、ウェイパーによって、食材が、トンデモナイ化学反応を起こして、
それぞれの味が引き立つからじゃないかって。


ウェイパー単体だと美味しくないのかもしれない。


とりあえず、呼んどきゃ楽しいから呼んどけって人は、
場がその人色に染まるからじゃなくて、
周りの人をうまく引き立てるからじゃないの。

とりあえず、寝ときゃスッキリってのは、
無の時間がわたしを塗りつぶすのではなくて
グチャグチャした気持ちを整理していくからじゃないの。



君ってば、また都合よく使われて、わたしは不安にさえなるよ。
でも、たまには、君に甘えたって、いいよね。 

君を入れすぎると、じつは、しょっぱい毒になるのを、わたしは知っている。
適量入れてあげようね。



ほうら、今日も。
こんな時間に、炒飯完食しちゃったじゃん。



わたし、ウェイパーみたいな人に、なりたい。



ごちそうさまでした。

麻婆豆腐と甘い罠

わたしには、後悔めしというものがある。



日比谷の駅ビルにある、人がごった返す中華料理屋さん。営業先と職場の乗換駅なので、頻繁に通りかかる。たまに、半自動的に店に吸い寄せられる。

きまって注文するのは、名物の麻婆豆腐。
毎度、苦くて熱くてビリビリして、3分の1しか食べられない。
おまけに雑多なお店の雰囲気ときた。
ガヤガヤした人の波に放り出され、異国の店員さんは大声をあげても気づいてくれない。

まさに、孤軍奮闘。
こんなにも大きな街で、閻魔様のような麻婆豆腐と汗水たらし内臓を燃やし、ポツンと闘っている。
なんだかきゅうに虚しくなる。



心身ともに消耗し、食べるといつも後悔するから、後悔めし。
でも、ときどき、むしょうに、どうしようもなく、食べたくなってしまうのだ。
そして、注文して、後悔する。
その繰り返し。エンドレス。



辛いものが、好きだ。
激辛好きなんて人もいるから、世間では一定のポジションを得ているように思う。

大量の唐辛子を口いっぱいに頬張ることを、想像してみる。手足が痺れ、胃は痛み、身体は熱って、顔は真っ赤で、汗が吹きでる。
まてよ、これって、生物的には、とっても「不快」な状況じゃないか。
一過性だからいいけど、この症状がずっと続いたら、迷わず、病院にいっちゃうよ。



ふとおもう。
人間って、わざわざ、不快な状況を追い求めているのではなかろうか。
刺激のせいで、なんだか麻痺しちゃって、「不快」が「快感」だと思い込んでいるのではないか。

取るに足らないことで、落ち込んで。
変わらない自分に、嫌悪して。
報われない恋に、悩んで。
正解のない葛藤が脳内を占領する。



その繰り返し。



あまーいコーンスープみたいな、
栄養のある、優しい味のものだけを、摂取し続ければいいじゃないの。
後悔するくらいなら、地獄みたいにグツグツした、麻婆豆腐になんて、近づかなきゃいいじゃない。



でも、きっとわたしは、この先も、後悔めしを食べたくなる。
そして、食べては、後悔するだろう。



ごちそうさまでした。