焼肉フリースタイル
慶應仲通りの焼肉屋。
金曜の残業終わりにふらりと呼ばれる。
焼肉は、クリエイティブなたべものだと思うの。
様々な部位が示されたメニュー表。
特上から並まで、イキイキと文字が踊ってみえ、選択の自由を満喫できる。
全体のバランスを見つつ思い思い注文して、
お皿が来たら、理想の最終形を思い描きながら、好みの加減に育てていく。
絶妙な頃合いを目と耳と鼻で判断する。
よだれがじゅるり。ああ、はやくたべたい。
ジュウと音をあげ、肉汁がポタリと落ちる。
これ、そろそろいけるかな?
時折、話を止めながら、仕事のこと、恋愛のこと、共通の知人のこと。
いろんな話をしたのだけど、いちばんお腹にきたのは、友達付き合いの話だった。
無神経な行為にイライラする友達がいる。
一方、不器用で面白くはないけど良識ある友達もいる。
付き合う友達のタイプを、一度考え直そうかなあ。という話だった。
誰とでも仲良くする人に見えたので、ちょっとびっくりしつつも、なんだかとてもスマートにみえて、おおっと思ったのだ。
友達選ぶ宣言していいのか!と。
まあでも、わたしも、たべたい肉を選択しているように、
仲良くする友達を見極めて、注文している感覚、あるかもしれないなあ。
Aの誘いなら調整してでもいくけど、Bの誘いは上手いこと断っておこう。とか。
そして、思うままの焼き方で、共にいる時間を創り出して、身勝手に楽しんでいる。
相手が同じように楽しかったか、なんて、その時はそっちらけなのだ。
そんで、あとで後悔するんだよなあ。肉食べ過ぎた!みたいに。
そういうところって、大なり小なり、みんな腹の中に秘めてるんじゃないかなあ。
どんなお人好しにも、選ぶ権利は認められてると思うんだ。悪いことじゃない。
相手がどんなふうに感じるかなんて、結局わからない。
これ、お皿によけとくよ。
誰かが食べたかったはずのカルビが、焼きすぎて、黒こげになっている。
ひとって自分勝手だよなあ。
ごちそうさまでした。